みのり工房 株式会社 遠藤海苔店の理念
Management Philosophy
経営理念
わたしたちは自然との調和を大切にして、健康で安全な食生活を提案します。
そして、地域社会における日本食文化の発展に貢献します。
経営方針
わたしたちは「E&Y」をテーマに21世紀の新しい食生活を提案します。
そして「日本食文化を創造する」企業を目指します。
社是
お客様のニーズは時代とともに変化します。
わたしたちは、多種多様なニーズに応えるために、柔軟な発想と視点をもち続けます。
みんなでアイディアをだしあい、商品という形にして、付加価値を生み出します。
「創造と変革」をキーワードに、日々精進します。
E&Yコンセプト
What’s E&Y
「E&Y」とは、みのり工房が提案する商品開発のコンセプト。21世紀の食生活にとって大切なテーマを3つのEと1つのYで表現しています。
人間にとって楽しくおいしく食べることは基本であり、暮らしを豊かにします。また、自然の持つパワーを素材から引き出し、より大きなエネルギーとして、人間の心と体に届けます。自然と共生しながら商品を製造していく上で大切な環境保護にも積極的に取り組みます。そして若さを保ち、健康な体を維持することを基本とした「ヘルシーな食生活」を提案します。
EAT
人間が生きていく上で基本となる「食べる」こと。伝統の味わいに自然の持つ旨味と時代性を取り入れ、豊かで幸せな食生活を提案します。
ENERGY
自然の持つパワーを素材から引き出し、より大きなエネルギーとし、人間の心と体に届けます。
ECOLOGY
自然と共生しながら商品を製造していく上で大切な環境保護にも積極的に取り組みます。
YOUTH
若さを保つこと、つまり健康を維持することを基本としたヘルシーな食生活を提案します。
メディアインタビュー
Media Interview
みのり工房 株式会社 遠藤海苔店 代表取締役 遠藤 善明 略歴
福島県相馬市出身。應義塾大学 法学部卒業後、早稲田大学』大学院商学研究科に進学。
父親が創業した『遠藤海苔店』を手伝うために帰郷。
工場作業、営業の経験を積み社長職に就く。ギフト業界へ進出し、独自のブランドを開発し、現在の形を確立。
変革に挑み、伝統を守る
顧客のニーズに応えるため、柔軟な発想で付加価値を生み出す。同社の遠藤善明社長は、幾度となく訪れた困難を乗り越え、社を守り続けてきました。
いや、「守る」というより「変える」という言葉のほうが相応しいかもしれません。
海苔だけでなく様々な商品を開発してギフト業界に参入し、オリジナルプランド『みのり工房』を確立して商品を世に送り出してきました。東日本大震災後は、原料の産地を新たに開拓し、従業員と共に再び立ち上がりました。
「何度危機に見舞われようと、また変わればいい」常に前を向いて、これからも突き進んでいきます。
全社一丸となって様々な困難を乗り越え、こだわりのオリジナル商品を全国に広めていく
まずは遠藤社長の歩みから伺います。
福島県相馬市の出身です。当社は自社製造・販売を行う海苔店で、父が1950年に創業しました。父は私を後継ぎにすることは求めていなかったので、私は好きにさせてもらったんです。慶應義塾大学の法学部に進学し、4年生の夏ごろからは経理の勉強を始めました。その時に、講師として出会った早稲田大学大学院商学研究科に在籍する先生と意気投合して、早稲田大学大学院商学研究科を受験したんですよ。そして合格し、1975年から5年間在籍しました。できれば大学の講師になりたいと思っていたのですが叶わず、父の体調が悪くなったことを受けて、大学院を中退して帰郷しました。当時は相馬に本社があり、そちらに入社したんです。社会経験は一度もありませんでしたので、全くの未経験からのスタートでしたね。最初の1年間は工場で勉強し、2年目からは営業として外に出るようになりました。
どの辺りを回られていたのですか。
北海道から東北六県、北関東近県くらいまで回っていました。主に個人商店や専門の乾物屋などに卸していて、最販スーパーには問屋経由で卸していくという形をとっていたんです。それから大きなスーパーの郊外店ができ、同時期にコンビニがスタートしました。そうすると、私たちが取引をしていた個人商店などがどんどん閉店し、当社の商品の販売量も目に見えて減っていったんです。そんな中、このままでは先がないと判断し、それならば思い切って環境を変えてみようと、交通の便の良い郡山に新たに支店を作ることを決めました。
激動の時代を見てこられたのですね。時代の流れに乗るために、具体的に取り組まれたことを教えて下さい。
以前は海苔メーカーとして、店頭などで販売する商品しか作っていませんでしたが、郡山に来てからはギフト市場に参入し、本格的にカタログ販売に切り替えていきました。その当時はまだ通常ルートでも海苔が売れる時代でしたので、業界ではギフトはあまり注目されていませんでしたね。でも、生き残るためには、他とは違う分野に特化するという流れしかありませんでした。それから、そうめんやわかめ、お茶など、徐々に商品の種類を増やしていったんです。
他社と同じことをやっていては生き残れない時代だと見極めて、いち早く舵を切られたわけですね。
ええ。ギフト業界に進出しようと思った時点で、当社オリジナルプランド『みのり工房』を立ち上げ、オリジナル商品を展開していこうと考えたのです。他のメーカーが作ったものをただ仕入れて卸すのではなく、国産の原料にこだわり、パッケージから自分たちで作って、一から展開しようと決めました。当初は海苔だけでしたが、これまでにたくさんの商品を全てオリジナルで作ってきたのです。ギフト業界は既製品で展開しているところが多いので、これだけオリジナル商品を展開しているところは少ないですね。今は、冠婚葬祭、特に葬儀会社がメインのお客様ですが、「美味しかったから」と言って個人の方がお客様になって下さることもあります。
美味しさが認められて、お客様が増えているのですね。ところで、こちらは東日本大震災の時はご苦労があったのでは?
実は、当時相馬にあった本社を東日本大震災の後に郡山に移したんです。また、当時は相馬に海苔工場があったのですが、原発の影響で「相馬」と表示があると売れなかったりして、産地のルートを色々と変更しました。働いていた従業員も1人が犠牲になり、半数が家を流されてしまったのです。しかしそんな中、従業員総動員で頑張り、なんとか乗り越えてここまでくることができました。
従業員の皆さんと共に歩んでこられたのですね。
はい。従業員は当初からいる皆が残ってくれています。最初は何の経験もない素人集団でしたが、今のような理想的な環境が整ったのは皆のお陰だと思っています。パッケージ一つ作るにしても、予算もない、経験もないという中で失敗の連続でしたが、その失敗のお陰で今があるんですよ。色々な問題にぶつかりましたが、それを一つひとつ、自社で独自に解決していきました。今から10年ほど前には画期的な受注システムも開発したんですよ。それまでは、注文が入るとカタログを開いて入力していたのですが、データベースに商品の画像を組み込むことでカタログを開く必要がなくなり、かなり効率が上がったのです。
様々な困難があったからこそ、今があるということですね。最後に、今後の目標を教えていただけますか。
先代から受けついた海苔へのこだわりを受けつぎ、さらに磨きをかけていきます。お茶、椎茸や梅干しなど、こだわって作っているオリジナル商品をもっと多くのお客様に知っていただきたいですね。そのためには、カタログやインターネットを使用した直販で、理想的な形で展開できるようにしていきたいと思います。
【二度の困難を乗り越えて】
創業から70年近くの歴史を誇る『遠藤海苔店』。自社で製造を行う昔ながらの海苔店として始まった同社は、社会情勢の変化に応じて形を変えて生き残ってきた。大手スーパーやコンビニの台頭で取引先が倒産し、販売最が減った際はギフト業界への参入を決意。海苔以外にわかめ、そうめん、お茶などの商品を国産の原料にこだわって開発し、オリジナルプランドとして売り出した。そうして新たな舞台で基盤を作っていた同社を襲ったのが、2011年に起きた東日本大震災だ。当時本社と工場があった相馬市は多大な被害を受け、従業員も失った。さらには、その後の原発事故の影響で、主力商品の売上が激減し、「まさしく手足をもぎ取られたようだった」と遠藤社長は語る。本社を郡山に移し、原料の産地のルートを変更して、全てが今の形になるまでには1年もの歳月を要した。困難を何度も乗り越えてくる度に、その結束力を強固にしてきた同社。今後も皆で力を合わせて、100周年を目指して進んでいく。